急性心不全・心臓突然死・運動時心電図・AI解析から考える
競走馬は、なぜ突然倒れることがあるのか。
安静時には分からない心臓の異常、走っている時だけ出る不整脈、そしてAIによる新しい解析の可能性について、たった今終わったばかりのACVIM Forum 2026の話題も交えて整理します。
競走馬の突然死は、レース中に急性心不全などとして発表されることがあります。
競馬を見ていた方にとっても、馬に関わる者にとっても、とてもつらい出来事です。
「さっきまで走っていたのに、なぜ突然?」
「心不全ということは、もともと心臓が悪かったのか?」
「事前に分からなかったのか?」
こういう疑問を持った方も多いと思います。
今回は、以前にもこのサイトで触れた競走馬の突然死、特に運動中に起こる心臓突然死について、最近の話題も含めて少し整理してみます。
今回はその続きとして、今年のACVIMで多く取り上げられていた運動時心電図、そして最近急速に進んでいるAIによる心電図解析の話も含めて、少し整理してみます。
ACVIMとは?
ACVIMは、アメリカの獣医内科学専門医団体です。毎年のACVIM Forumでは、犬・猫・馬の内科分野について、世界中の専門医や研究者が最新知見を発表します。今回は、たった今終わったばかりの2026年ACVIM Forumで聞いた「運動時心電図」と「競走馬の突然死」に関する最新情報も、この記事に反映しています。
「急性心不全」は最後に起きた状態
まず、「急性心不全」という言葉です。
これは簡単にいうと、心臓が急に全身へ血液を送れなくなった状態です。
ただし、この言葉だけで「なぜ心臓が止まったのか」まで完全に説明できるわけではありません。
馬の場合、運動中に心臓のリズムが急に乱れる不整脈、心筋の異常、肺や血管の問題など、いくつかの要因が関係して、最終的に心臓が機能しなくなることがあります。
人でよく聞く心筋梗塞のようなイメージとは、少し違う部分もあります。
競走馬の突然死はなぜ原因が分かりにくいのか
突然死が難しい理由の一つは、不整脈が「その瞬間に起こる現象」だからです。
骨折なら骨に痕跡が残ります。
出血なら出血の跡が残ります。
しかし、心臓の電気信号の乱れは、死後に必ずしもはっきりした跡を残しません。
そのため、突然死した馬を詳しく調べても、明確な原因が分からないことがあります。
これは「調べれば必ず分かる」という種類の問題ではなく、そもそも捕まえにくい現象なのです。
人のスポーツでも起こる心臓突然死
この話は、馬だけの問題ではありません。
人のスポーツでも、若くて健康そうに見える選手が、運動中に突然心停止を起こすことがあります。
若い選手では、肥大型心筋症や不整脈原性心筋症など、隠れていた心臓の病気が関係することがあります。年齢が上がると、冠動脈疾患の関与も増えてきます。
人でも、事前の問診、診察、心電図スクリーニングをどう組み合わせるかは、今も議論があります。
心電図を使えば見つけられる病気は増えます。
一方で、異常ではないものを異常と拾ってしまう問題もあります。
つまり、人でも馬でも共通しているのは、突然死をゼロにすることは難しいが、見つけられるリスクを増やす努力はできる、ということだと思います。
競走馬の運動時心電図とは
今年のACVIMで印象的だったのは、競走馬や競技馬にウェアラブル心電図を装着し、実際に運動している時の心電図を記録する研究が多かったことです。
安静時には正常でも、全力で走っている時だけ不整脈が出ることがあります。
逆に、運動が終わった直後だけ乱れることもあります。
つまり、厩舎で静かにしている時だけ心臓を調べても、分からないことがあります。
最近は、Equimetreのようなウェアラブル機器を用いて、心電図だけでなく、速度、GPS、ストライド、加速度、気温や湿度なども同時に記録できるようになってきています。
人でいえば、スマートウォッチやスポーツ用センサーの、もっと専門的な馬版に近いものです。
海外には多数の馬用のウェアラブル心電図デバイスが開発されています。
1回の心電図だけで安全とは言い切れない
ただし、ここで大事なのは、1回の検査で白黒をつけすぎないことです。
ACVIMでは、
「1回正常だから大丈夫、とは言えない」
「1回異常だから、その馬を決めつけてもいけない」
という話が強調されていました。
ある時は正常でも、別の日には不整脈が出ることがあります。
逆に、一度不整脈が出ても、次の検査では少なくなることもあります。
つまり、運動時心電図は「1回測って終わり」ではなく、時間の経過の中で見ていく検査になりつつあります。
心房細動とPAF-like burst|運動中だけ出る不整脈
その中でも、特に注意されているのが心房細動です。
心房細動は、心臓の上の部屋である心房が規則正しく動かなくなる不整脈です。馬では比較的知られた不整脈で、競走能力の低下につながることがあります。
今回のACVIMで紹介された研究では、運動関連突然死を起こした競走馬の中に、死亡当日に心電図が記録されていた馬がいました。
その中には、馬房を出る時点ですでに心房細動を示していた馬が複数いました。

そして、その後のギャロップや運動中に、より危険なリズムへ移行し、最終的に心室細動から死亡に至った例が紹介されていました。
この点から考えると、少なくとも心房細動の状態で高強度運動をさせるべきではない、というのが実践的な結論になります。
一方で、もう一つ興味深い不整脈も話題になっていました。
それが、最大強度運動中にだけ短時間出る、発作性心房細動に似た不整脈です。
これを PAF-like burst つまり「発作性心房細動様バースト」と呼びます。
これは、心電図上では正常のQRS波にかなり似た形のまま、不規則で速いリズムが短時間だけ出るものです。
特徴的なのは、多くの場合、運動中に出ても、運動が終わる前には消えてしまうことです。
つまり、走り終わってから聴診したり、通常の心電図を取ったりしても、すでに正常に戻っていて見つからない可能性があります。
このPAF-like burstが、どの程度突然死リスクに直結するのかは、まだはっきり分かっていません。
ただし、何らかの不整脈を起こしやすい状態を反映している可能性があり、注意して経過を見るべき所見と考えられていました。
だからこそ、これからは「静かにしている時の心臓」だけでなく、走っている時の心臓を見ることが重要になっていくのだと思います。
AIによる心電図解析で何が変わるのか
ここ数年で大きく変わったのが、AIの進歩です。
ウェアラブル心電図を使うと、馬が走っている最中の心電図を記録できます。
これはとても有用ですが、同時に大きな問題もあります。
それは、データの量が多すぎることです。
1頭、2頭の心電図であれば、人がじっくり見ればよいかもしれません。
しかし、何百頭、何千頭、さらに世界中の施設で記録されたデータが蓄積されていくと、すべてを獣医師が目で確認するのは現実的ではありません。
講演でも、何千、場合によっては何十万もの心電図があり、人が全部見る時間はないため、AIによるスクリーニングが必要になると説明されていました。
これは、かなりすごいことだと思います。
これまでは「その馬の心電図を、その場で読む」ことが中心でした。
しかしこれからは、世界中で使われ始めたウェアラブル心電図のデータをもとに、突然死に近い馬に共通するパターンを探す時代になるかもしれません。
1頭の心電図だけでは分からなかったことが、何千、何万という心電図を比べることで見えてくる可能性があります。
すでに心房細動の検出については、かなり良好なアルゴリズムが出てきているようです。
一方で、短時間だけ出る発作性心房細動様のリズム、いわゆるPAF-like burstの検出は、まだ課題があるとされていました。
心電図を「読む」だけではなく、大量のデータの中から危険なパターンを「探す」時代に入り始めているのだと思います。
心電図だけでなく馬の走り全体を見る時代へ
ただし、AIが心電図だけを見ればすべて分かる、という話ではありません。
講演では、今後は心電図だけでなく、速度、ストライド、内視鏡所見、EIPH、出走回数、馬場、輸入歴などを組み合わせた、より複雑なリスク予測モデルを作る方向に進んでいると紹介されていました。
馬の走りは、心臓だけで作られているわけではありません。
肺、筋肉、骨、関節、痛み、コンディション、馬場状態。
すべてが関係します。
不整脈が出たとしても、それが心臓だけの問題とは限りません。
呼吸器の問題や、痛み、運動器の問題が背景にある可能性もあります。
だからこそ、これからは心電図だけを見るのではなく、馬の走り全体をデータとして見る方向に進んでいくのだと思います。
競走馬の安全管理は次の段階へ
競走馬の突然死を完全にゼロにすることは、簡単ではありません。
競走馬は、極限まで鍛えられたアスリートです。
その心臓は非常に強く、大きな能力を持っています。
一方で、全力疾走は心臓や肺、筋肉、血管に大きな負荷をかけます。
そのぎりぎりのところで走っているからこそ、わずかな異常が大きな結果につながることがあります。
これからの安全管理では、聴診や安静時の検査だけでなく、実際に走っている時のデータを見ることが、より重要になっていくと思います。
そしてAIの進歩によって、そのデータを人間が扱える形に整理することも、少しずつ現実的になってきました。
最後に
今回のような出来事は、本当に残念で、簡単に言葉にできるものではありません。
ただ、こうした出来事をきっかけに、競走馬の突然死について少しでも理解が進み、今後の予防や早期発見につながっていくことを願っています。
馬が走る姿は美しいです。
その美しさを守るために、私たち獣医師も、見えなかったものを少しずつ見えるようにしていく必要があるのだと思います
Mahalo
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この記事は、報道で公表された内容、ACVIM Forum 2026で紹介された運動時心電図・競走馬突然死に関する知見、および人のスポーツ医学における心臓突然死の一般的知見をもとに、筆者が一般向けに解説したものです。
個別の症例について、死因や発症機序を断定するものではありません。






