運動時内視鏡検査でしか診断ができない疾患として、DDSPを紹介しました。今回は、DDSPと同様に運動時内視鏡でしか診断できない珍しい病気『喉頭蓋のレトロバージョン』について。
喉頭蓋レトロバージョンとは? ; Epiglottic Retroversion(ER)
喉頭蓋とは、喉の入り口にある『蓋(ふた)』のような形をした構造です。喉頭蓋と、軟口蓋の位置関係は、人と馬では大きく異なります。(前回のDDSPの記事を参照)
その喉頭蓋が、運動時に反り返ってしまうとても珍しい病態です
原因は完全に明らかにはなっていませんが、上部気道感染や上部気道外科手術の術後合併症として発生すると考えられています。
病態生理
喉頭蓋は、喉頭蓋軟骨を粘膜でおおわれた作りで、舌骨喉頭蓋筋(Hyoepiglotticus m.)とオトガイ舌骨筋(Geniohyoid m.)によって支持されています。なので、これらの2つの筋肉の機能障害が、レトロバージョン発症に関わっているのではないかと考えられています。
また、これらの筋肉は、舌下神経(Hypoglossal n.)の支配を受けています。舌下神経とは、12対ある脳神経のうちの12番目に数えられる運動神経で、舌の運動を司っており、これらの筋肉以外にも、甲状舌骨筋(Thyrohyoid m.)・オトガイ舌筋(Genioglossus m.)・舌骨舌筋(Hyoglossus m.)、茎突舌筋(Styloglossus m.)に枝を伸ばします。
舌下神経は、喉嚢を通過します。実験的に両側の舌下神経をブロックすると、運動時のレトロバージョンが誘発されることが分かっています。
これを臨床的に考えると、外科手術あるいは上部気道炎などよって喉頭壁や喉嚢に炎症が波及することが、舌下神経の神経障害が引き起こし、レトロバージョンの発症に寄与している可能性があります。
喉嚢(こうのう) : 馬にみられる特徴的な構造です
耳と鼻をつなぐ細い管状の通路を耳管(じかん)と言います。飛行機の離着陸時に、耳が詰まった感じになり、唾液を飲み込んだりアクビをすることで治った経験はないでしょうか?耳管は、中耳内の気圧を調整する役割を持っています。馬は、この管の途中に大きな部屋が左右に1対あり、これを喉嚢(こうのう;耳管憩室)と呼びます。多くの神経や血管が分布しており、内視鏡で観察することができます。
症状と診断
喉頭片麻痺やDDSPと同様に、運動時の呼吸異常音、運動不耐性がみられます。
レトロバージョン時の異常音は
『Grunt;ブタの低いうめき声、ブタのような喉の奥からの声』と表現されます。
安静時の内視鏡検査では咽喉頭に異常は認められません。運動時内視鏡でのみ診断が可能です。
治療
馬ではこれまでにいくつかの外科的治療方法が報告されています。
Epiglottic augmentation with polytetrafluoroethylene paste
ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)は、フライパンなどのコーティングに使われる『テフロン』で知られる物質ですが、喉頭切開して喉頭蓋の粘膜面に直接6cc注入することで、喉頭蓋を肥大させる方法。
1998年にTullenersらが2頭のERに行った報告をしています。1頭(サラブレッド・4歳)は3カ月後に運動再開しましたが、異常音が鳴り続けたため引退しました(術後の運動時内視鏡検査なし)。もう1頭(スタンダードブレッド・4歳)は、2カ月後に運動を再開し、術前よりは低クラスのレースではありましたが数年間活躍することができました。
喉頭蓋下粘膜切除;Subepiglottic mucosal resection
舌喉頭蓋粘膜を切除することで、喉頭蓋の下の組織を硬くすることを目的にした手術です。N. Terrón-Canedoらが2013年に報告していますが、競争に復帰することはできていません。
喉頭蓋固定術;Epiglottopexy
喉頭蓋と甲状軟骨を糸で縛ることによって、喉頭蓋の角度を水平に安定させる方法です。2018年にAlexandra L.Curtissらによって報告されました。サラブレッドとスタンダードブレッド各1頭に手術が行われ、2頭とも1年後にはレースに復帰しました。1頭は術後1カ月の検査で、ERが改善されていることが確認されました。
次にRetroversionの馬に遭遇した際は、固定術を選択してみたいと思っています。
内科的治療はあまり聞かれませんが、病態から考えるのであれば、上部気道炎を疑う症状があるのであれば、早期に内視鏡検査などを行い、上部気道炎の治療を行うことは理にかなっていると思われます。
運動時の異常呼吸音は、運動時内視鏡でしか正確な診断ができません。間違った治療、あるいは不足した治療を行わないためにも、運動時内視鏡検査が重要です。
Mahalo