
これまで、『麻酔の前は絶食』というのが当たり前のように行われてきました。
その理由は、体の中で起こる変化を少しでも減らして、麻酔中の安全を守るためと考えられてきたからです。
しかし、馬は全身麻酔のリスクが非常に高い動物です。

疝痛などの緊急的な手術でなくても、全身麻酔をされた0.6%の馬に事故がみられています。
※ 当院(社台ホースクリニック)では0.19%と極めて低い率になっています
特に馬では、体が大きく、麻酔で横になったとき(仰臥位や側臥位)に、
その重みで肺が押しつぶされやすくなります。
そのため、**呼吸に使える肺のスペース(機能的残気量:FRC)**が減ってしまい、
酸素を取り込みにくくなることが知られています。
馬の全身麻酔 体が大きいだけなのに|馬好きさんのライト獣医学
絶食は本当に効果があるのか
絶食をすることで、本当にこれらの問題が解決し、麻酔を受ける馬にとって「良いこと」があるのでしょうか?
ここ数年、「絶食の必要性」や「最適な絶食時間」についての研究が進み、その効果やリスクを改めて検討する動きが出てきています。
The effects of bit chewing on borborygmi, duodenal motility, and gastrointestinal transit time in clinically normal horses
Molly E Patton Britta S Leise, Rose E Baker, Frank M Andrews
Vet Surg.2022 Jan;51(1):88-96. doi: 10.1111/vsu.13745. Epub 2021 Nov 14.
目的
麻酔前の給餌と絶食がそれぞれ次のような項目に与える影響を評価すること
- 麻酔中の合併症 :
- 手術中の低換気、低酸素血症、低血圧
- 消化管(GI)への影響 :
- 消化管運動、麻酔後の疝痛、糞便排出量の減少、腸内細菌叢の変化
- 術後経過への影響、覚醒(回復)までの時間、または術後合併症
方法
過去の消化管関連の指標、麻酔中の生理学的変数などを取り扱っている文献について体系的に検索し整理
結果
A : 絶食が酸素化に及ぼす影響
絶食によって腸内容物を減らすことで横隔膜への圧迫が減り、呼吸が楽になる(=酸素化が改善する)と考えられてきましたが、
| 研究 | 対象 | 絶食条件 | 測定時間 | 結果(PaO₂) | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| Dobromylskyj et al., 1996 | 馬 | 約8時間絶食 vs 非絶食 | 麻酔75〜105分 | 差なし(非有意) | PaO₂中央値:絶食232 mmHg/非絶食165 mmHg |
| Barton et al., 2024 | 馬 | 10時間絶食(口輪あり/なし) vs 非絶食 | 麻酔15分 | 差なし(p=0.5) | 各群PaO₂ 約290〜310 mmHg |
| Maney et al., 2019 | ロバ | 5時間絶食 vs 非絶食 | 麻酔25分 | 差なし(p=0.07傾向) | 絶食群やや高い傾向あり |
| Lopes et al., 2025 | 馬 | 絶食 vs 非絶食 | 記録データ解析 | 差なし | 解析パワー11.6%と低い |
➡ 「絶食の有無による明確な差」は確認されていない
B:循環動態への影響
同じくBartonら(2024)は、絶食群と非絶食群で麻酔中の低血圧の発生時間に差はなかったと報告しました。
5時間の絶食を行った研究でも、収縮期血圧の改善効果は認められず(Maney et al., 2019)。
➡ 「絶食による循環動態の安定化」は確認されていない
C:消化管運動・マイクロバイオームへの影響
- 20時間の絶食は骨盤曲の筋電活動を低下され、腸蠕動が減少する(Merritt, 1999)
- 24~48時間の絶食で腸蠕動音あ著しく減少し、再給餌後に戻る(Naylor et al., 2006)
- 絶食+麻酔・輸送などのストレスが加わると、腸内細菌叢が乱れる(Schoster et al., 2016)
D:腹腔鏡手術や腹壁ヘルニアなどの手術前
これらの手術では、腹圧を下げることがとても大切になります。
➡ 「腸管内のガス発生が少ない茎の多い乾草を少量ずつ・2時間おきに与える」ことで、26時間以内に十分な腸内用減少が得られる(Zebeli et al., 2015)
一般に「1番草」は、植物として成熟が進んでおり、硬く・茎が多く・繊維が多い。そのため、咀嚼(そしゃく)時間も長く、ガス産生が少ない。
「2番草」は葉が多く、柔らかく、嗜好性も高いうえに、消化性が高い。発酵・ガス生成も起こりやすい。
英語では Late や Early が使われるため、紛らわしいですが間違い厳禁‼
1番草 : Mature / Late-cut 2番草 : Immature / early-cut
➡ 麻酔前には、1番草タイプ(stem-rich)が理想的 ※チモシーやオーチャードなど
E:水分摂取と疝痛リスク
絶食すると、飲水量が減ります。 それよりも大切なことは..
「水の摂取量 = バケツの水を減らす量」 ではない ということ
実際は、飼料中の水分(特に青草や乾草)が水分摂取量の多くを占めています。絶食すると、食事由来の水分も減るので、摂取量が大きく減ってしまします。
口カゴ
疝痛時の絶食など、敷料を食べないようにするために口カゴを使うことがあります。食餌制限を目的に、太りすぎたポニーの放牧時や慢性蹄葉炎の馬の管理に有用です。
口カゴには、完全に採食できないものと、ゆっくりではあるけれども食べられるものがあります。
全身麻酔前に装着するのであれば、短時間での使用がお勧めです。
牧場に一つは必ずあっても良いものだと思います。
まとめ
馬の全身麻酔の前に、一律で絶食をする時代は変化してきています。
長時間の絶食が必ずしも安全性を高めないことが明らかになってきています。
ただし、絶食が絶対的に悪いとも言えません。2019年Association of Veterinary Anaesthetists(AVA)年次大会では、「麻酔前の絶食時間」について明確なコンセンサスが得られませんでした。
ただし、そこでの結論として概ね一致が得られたものとして
・麻酔直前に 大量の濃厚飼料や青草を与えることは避けるべき
・大量の給餌(草も含めて)は、4~6時間前まで が妥当
・牧草・乾草(濃厚飼料でなくて)の自由採食は、制限しないor最小限の制限で良いかもしれない
・過度な絶食は好ましくない。
➡ 「絶食=安全」という考え方は見直されつつあるが、完全な指針にはまだ至っていない。
当院でも、これから検討していくべき課題です。
概ね 一般的な整形外科の手術などであれば、 2 ~ 4 時間程度の軽い制限 が良いのではないかと思っています。
高齢馬や仔馬では、絶食は適していません。 原則として仔馬は哺乳フリー。 高齢馬は、6時間程度の採食量の軽度制限といったところが、今のところの臨床的妥協点かもしれません。
Mahalo






